白血病になった時の話

人生で二度白血病にかかりました(現在は寛解しています)。その時の記憶を遡りここに記していきます。

放射線治療

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地固め療法もほぼ終盤にかかってきました。

入院してから既に約1年経っていたと思います。

入院しながらの治療も終盤にかかってきました。

 

今までは主に点滴の抗癌剤での治療でした。

(たまに飲み薬の抗癌剤)

そして今回、新たに放射線治療を始めると担当医から聞かされました。

それも主に頭に放射線を当てるとのことでした。

 

放射線治療とは

外側から放射線を照射して癌細胞を攻撃して消滅させる治療法です。

 

放射線治療をする理由

僕の罹った急性リンパ性白血病は脳にも癌細胞がいく可能性のある病気です。

抗癌剤は血液中には周りますが、脳にはいきわたりません。

その為、脳にも行き渡るようにルンバールの過程で抗癌剤を入れます。

 

⬇︎ルンバールについての記事

ルンバール - 白血病になった時の話

 

それに加えてさらに放射線治療をする理由は、再発をより防ぐ為です。

 

治療の前準備

治療をするには準備があります。

マスクを作るんです。

放射線を照射する部位をマーキングするのと、頭を固定する役割があります。

ギプスの様な素材でフェンシングのマスクの網バージョンのような物です。

放射線治療 マスク】で検索すると画像が出てきます。

 

放射線治療

治療は一度ではなく、数回行われます。

まずは台の上で寝た状態でマスクを被ります。

そのあと身体を固定されたはずです。

後は照射が始まり、それが終わるのをじっとして待っているだけです。

時間は10分くらいだったでしょうか。

ちょっと覚えてません(⌒-⌒; )

寝てるだけの治療でした。

初日は特に何もなく終わり、こんなものか?と感じましたが…。

 

副作用の衝撃

治療した次の日の朝。

僕は気持ち悪さと共に目覚めました。

放射線治療でも吐き気が起こったんです。

しかしそれよりももっと衝撃的な事が起こりました。

 

髪の毛がごっそり抜けたんです。

 

脱毛のショック

抗癌剤治療は髪の毛が抜ける。

知っていた事でしたし、実際髪は抜けていました。

しかし髪質が強く、髪の量の多かった僕だからでしょうか。

治療終盤になっても僕の髪の毛は結構残っていたんです。

このまま髪の毛が無くならずに治療が終わるのではないか。

正直そう思って期待していました。

 

その期待は突然、一瞬でぶち壊されました。

恐怖を感じました。

身体が震えました。

指で頭を撫でると毛がなく、地肌に触れるんです。

鏡を見るのが怖かった。

 

その後

その日からは頭を隠す様にバンダナを巻いて生活し始めました。

僕は毛が無くなった自分を認められませんでした。

看護師さんは頭の形が良いから大丈夫と言いました。

それが本当のことか気を使ってかは分かりませんが、どっちだとしても僕には関係なかったです。

 

放射線治療は無事全て終わりました。

何度か吐いたかもしれないので無事とは言わないかもしれませんが(⌒-⌒; )

 

放射線治療は吐き気も辛かったはずなんですが、髪が無くなった衝撃が強すぎてあまり覚えていません。

当時の僕にはショックが大きすぎました。

 

読んでくださりありがとうございました。

 

 

骨髄移植をした友だちの話

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今回は入院したばかりの時に友達になってくれた子の話です。

その時の事は以下の記事に書いています。

よろしければそちらもよろしくお願いします。

⬇︎

小児科と仲間 - 白血病になった時の話

 

友達のこと

当時の彼は小学校2、3年生くらいだったと記憶しています。

入院には母親も一緒でした。

幼い子の入院で、母親が一緒に入院することは当時のこの病院ではよくある事でした。

(現在の一般の病院がどうなのか分かりません)

とても明るく、よく笑うゲーム好きな子でした。

 

友達の病状

僕が入院するきっかけとなった採血結果の異常は、白血球が異常に少ないということでした。

それに対して、彼は白血球が異常に多かったそうです。

詳しくは分かりませんが、【白血球が異常に多い】方が、【異常に少ない】方より緊急性が高いと当時聞いた覚えがあります。

 

白血病の種類が急性なのか慢性なのか、骨髄性なのかリンパ性なのかは覚えていませんが、治すには骨髄移植が必要とのことでした。

 

骨髄移植

親友の時と違い、骨髄移植は別の病院でするとの事でした。

移植にも色々種類があるようなので、転院先でしか出来ないものだったのかもしれません。

そして友達は転院していきました。

 

この時の僕は骨髄移植がどうゆうものかを理解していませんでした。

 

帰ってきた友達

何ヶ月経ったかは覚えていませんが、友達が骨髄移植を終えて病院に帰ってきました。

しかし、帰ってきた彼に当時の明るくよく笑う面影は全くありませんでした。

久しぶりに会った彼は車椅子に乗っていました。

親友が骨髄移植した時のように髪が抜け、肌が黒ずんでいました。

マスクをしていたんですが、こちらを見る目は力なく、怯えたような感じにも見えました。

 

話を聞くと、転院先の先生や看護師さんがとても厳しかったようで、そのストレスで彼は喋ることが出来なくなってしまったとの事でした。

 

骨髄移植を経験した今だからこそ分かりますが、移植する時は免疫力が極限まで下がっている状態なんです。

ちょっとしたことで感染してしまうリスクがあるので、看護師さんが厳しくなるのも当然だと思います。

感染が死に繋がる可能性が十分にありますから。

 

でもまだ幼い彼にはとても辛い事だったでしょう。

とても良く頑張ったと思います。

 

その後

久しぶりに病院で会った彼は、髪もはえて肌の黒ずみも無くなっていました。

歩けるようにも喋れるようにもなり、また明るい姿を見ることが出来ました。

とても嬉しいことです(*^ω^*)

現在連絡はとっておらず、どうしているのかはわかりませんが、元気で人生を楽しんでいることを願っています。

 

僕が二度目の闘病生活で骨髄移植をした時の話もいずれブログに書きますね。

副作用について

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今回は一度目の闘病中に自分が体験した副作用と、周りの入院患者さんが実際になっていた副作用の事を話そうと思います。

 

白血病や癌などの治療が辛いのは抗癌剤治療の副作用のせいでしょう。

出る副作用は抗癌剤の種類によって変わりますが、ここではそこには触れず、起こった副作用の話だけします。

副作用なく治療する事が出来たら一番良いんですがね。

 

※約15年前の話です

 

脱毛

一番有名な副作用だと思います。

髪が抜けると認識されてる方が多いと思いますが、実際には髪以外の毛も抜けます。

すね毛とかはいくら抜けても構わないんですが、髪の毛は辛いものがあります。

 

髪が抜けるスピードは抗癌剤の投与量や種類、使う回数などによって変わると思います。

全て無くなっていた患者さんもいましたし、髪が残っている患者さんもいました。

僕も髪がどんどん抜けていきました。

ですが抗癌剤では完全に無くなることはなかったです。

 

最終的に僕もある治療で髪は全て抜けたんですが、やはりとてもショックでした。

その事については今後のブログで書くつもりです。

 

吐き気

脱毛同様有名な副作用です。

これが特に治療を辛くしている原因です。

吐き気が無ければ入院生活はかなり楽になると思います。

吐いて吐いて吐いて吐いて数えられないくらい吐きました。

過去記事でも書きましたが『抗癌剤』というワードを聞くだけで吐き気を起こすぐらいのトラウマを植えつけられましたから(~_~;)

子供は三半規管がまだ発達途中なので、大人と比べると吐き気を起こしやすいそうです。

 

口内炎

これもかなり辛い副作用です。

吐き気と口内炎が無くなれば当時の入院はほぼ辛くなかったといってもいいかもしれません。

 

口内炎が口内のそこら中に出来て痛くて痛くてまともに食事も歯ブラシも出来ません。

常に痛い状態なので本当に地獄でした。

口内炎だらけの状態で吐いたりしたらもう痛くて気持ち悪くて最悪ですよ。

 

便秘

僕は記憶にないんですが、便秘も副作用の一つです。

運良くこの副作用で苦しむことは無かったのか、忘れてしまっているだけなのかはわかりません。

 

しかし、辛いのは間違いないでしょう。

 

嗅覚の異常

何故か変な臭いを感じる副作用です。

いつも通り生活していると例えようのない変な臭いを感じたんです。

ゴミとか生ゴミとかそういう臭いではないです。

何かに例え難い臭い。

でも兎に角気持ち悪く不快な臭いでした。

これも吐き気と合わさると最悪でした。

 

味覚の異常

味が変に感じる副作用です。

辛いものが甘くなったりとかそういうわけではありません。

味が薄くなるような感じで、食べ物の美味しさを感じ辛くなったりしました。

 

他の患者さんの話ですが、何を食べても味がしないといっている患者さんがいました。

入院生活では食べることが数少ない楽しみの一つなんです。

とても辛いです。

 

さいごに

もう一度言いますが、これは約15年前の話です。

また、僕が忘れている副作用や、知らない副作用、運良く体感することのなかった副作用も沢山あると思います。

今では医療の進化で症状を抑えられたり、抑える方法が解明されたりもしているでしょう。

 

当時の記憶はどんどん薄れていっていますが、辛かった副作用の記憶はまだあります。

トラウマもしばらくは残り続けました。

幸いなことに今はもうほとんどありません(^_^)

 

読んでくださりありがとうございました!

家族のこと


今回は闘病生活を支えてくれた家族についての話です。

家族の支えなしでは僕は治療を乗り越えられなかったと思います。

 

母親の事

入院してから母はほぼ毎日お見舞いに来てくれていました。

家から病院が近くだったわけではありません。

往復だと1時間以上する道です。

それをほぼ毎日車を運転して会いに来てくれていました。

さらにそれに加え、僕があれが食べたいとか、これが欲しいとか言うもんですから更に時間がかかってましたね。

(そのせいもあってか病院では毎回僕のベッドで寝ていましたw)

最初のうちは高速道路で移動していたのでお金も沢山かかっていました。

 

外泊許可がおりて実家に帰る時、車の移動中に母が睡魔と戦いながら運転していることに気付きました。

そりゃそうです。

毎日見舞いに来てくれて、家に帰ったら家事もしなきゃいけません。

今思うとあれこれわがままを言って負担をかけた事をとても申し訳なく思います。

ですが、一緒に付いててくれたことが凄く心強かったです。

調子の悪い時は特に。

 

父親のこと

仕事をしてる父は母程お見舞いにはこれませんでしたが、たまの仕事帰りや休みの日に来てくれていました。

病院食を食べたくない僕は父によくファーストフードを頼んでました。

モスバーガーとかケンタッキーとか。

父の面白いところは自分の分もしっかり買ってくることでしたねw

よく一緒に食べていました。

日々仕事で疲れている中来てくれてとても感謝です。

 

弟のこと

5つ下の弟もたまーに休みの日一緒に来てくれていました。

病院食が珍しいようで、僕が美味しくないからと残した病院食を食べていましたw

後に髪の毛が全て抜けてしまった僕を見て可哀想だと泣いてくれていたらしいです。

これは母から聞いた話。

 

母が毎日見舞いに来ていたため、弟には寂しい思いをさせてしまっていたと思います。

 

さいごに

家族には体力的にも精神的にも金銭的にもとても迷惑をかけてしまっていたと感じています。

ですが家族の支えもあって病気を乗り越えられたました。

本当にありがたく思っています。

闘病仲間だった親友の話

ある日小児科病棟に新たな患者が入院してきました。

割と年の近そうな男の子でした。

その時の部屋は2人部屋。

僕は廊下側のベットで彼は窓側でした。

来た時はカーテンを閉め切った状態。

気持ちはよく分かります。

僕も入院した時はそうでした。

 

とあるきっかけで仲良くなる

何日間かは顔も合わせず、話もしない状態でした。

僕自身初めて会った人とフレンドリーに話せるようなタイプではなかったので(^_^;)

 

その日はお互いの母親が見舞いに来ていました。

すると隣の2人の話で地元の地名が出てきたんです。

母親がすぐに反応し話しかけると何と同じところに住んでいることが判明しました。

そして中学校も一緒!

仲良くなるのに時間はかかりませんでした^ ^

 

親友のこと

彼は僕より一歳年下でした。

同じ中学校でしたが部活に入らず、他の学年とあまり関わらない僕だったので面識はなかったです。

僕は急性リンパ性白血病でしたが、彼は骨髄性白血病でした。

僕と違い骨髄移植が必要だったんです。

 

過ごした日々

年が近い事や同じゲーム好きだったこともあり、辛い入院生活にも楽しさが増えました。

 

話したり、一緒にDVDを見たり、ゲームしたり、売店に買い物に行ったり、食堂でご飯食べたり。

お互いが元気な時はよく一緒に行動していました。

明るく、ふざけるのが好きで気の合う仲間になれたと思ってます。

 

彼の母親も明るく面白い人でとても良くしてくれました^ ^

 

骨髄移植

やがて彼は骨髄移植のため個室に移動になりました。

この時は骨髄移植というものがなんなのか、僕はちゃんと理解出来ていませんでした。

今、骨髄移植を経験した僕だから分かります。

その辛さを。

 

骨髄移植する為には前治療というものがあります。

より強い抗癌剤を使って骨髄を弱らせます。

そこにドナーさんの骨髄を入れ、生着するまで待つのです。

異常のある自分の骨髄をドナーさんの骨髄で上書き保存するようなイメージです。

 

骨髄移植後の彼

移植が終わった後に彼に会いに行きました。

免疫が極限に下がっている状態なので、窓越しでの対面でした。

これまでの彼とは様子が全く違いました。

髪はなくなり、肌は黒ずんでいました。

マスクをしてベッドに横になっている状態です。

言葉が交わせなかったので手を振ると首を振って返してくれましたね。

その日はそれだけして自分の病室に戻りました。

 

転院

後日部屋の前に行ってみると窓のついたドアがしきりで隠されていたんです。

『あれ?なにかあったのかな?』

と思い看護師さんに聞いてみるとか

『転院した』

と聞かされました。

 

随分急な転院です。

当人はまだしも彼の母親からも挨拶も何もない。

不思議に思いました。

 

転院というのは嘘で彼は亡くなっていました。

肺に水がたまり体調が急変して亡くなったそうです。

 

母親にそれを聞かされた時の僕は驚くでもなく、涙を流すでもなく。

正直よく分からなかったんです。

実感が湧きませんでした。

そして治療中の僕は葬式に行くことすら出来ませんでした。

 

最後に

僕は運良く寛解して退院することが出来ましたが、当時は亡くなる人も多かったんです。

新たに仲良くなった年の近い人達が次々と亡くなっていきました。

何度も転院転院言われたら嫌でも察します。

 

白血病はとても怖い病気です。

生きたくても生きられない人がいる。いた。

僕はその人達の分まで、せっかく助かった命後悔せずに生きる。

隔離と口内炎地獄

メソトレキセート

当時入院患者の間で最強の抗癌剤と言われていました。(以後メソ)

CCレモンみたいな色をしています。

この抗癌剤、投与量がハンパないです。

オレンジの抗癌剤の何倍も量がある為、その分時間もかかります。

繋がれてる時間が長いだけ気が滅入りますよ(^_^;)

 

隔離

抗癌剤を投与した結果、白血球が1000以下まで下がってしまいました。

免疫力がかなり低下していて感染しやすく、危険な状態です。

この病院では1000以下になると個室に隔離される事になっていました。

白血球が回復するまでは部屋から出られません。

 

また、食事も制限されます。

納豆や生物は感染の恐れがある為食べられません。

 

これまで僕は治療で白血球が下がることはあっても1000を切る事はありませんでした。

これが初めての隔離でした。

 

感染リスクを減らす為、面会は極一部の人のみ。

消毒、マスクは必須です。

 

因みに500以下になると、個室の隔離に加えて透明なカーテンの付いた大きい空気清浄機みたいなのでベットごと覆われます。

個室どころかベットからすら出られません。

僕は最後まで500以下になる事はありませんでしたが、免疫の下がりやすい小さな子はよくなってて可哀相でしたね…。

 

隔離の辛さ

個室はトイレ付きで、全く外に出る必要のない部屋です。

その時の僕の身体には最適の部屋でした。

ですが気持ち的にはそうではありません。

 

入院生活はとても退屈ではありましたが、それでも病院内は自由に動けます。

お腹が空けば売店やレストランや自販機がありますし、気晴らしや運動に夜なら病院内を散歩も出来ます。

その行動範囲が部屋だけに狭められるのは結構辛いものがありました。

 

白血球は1日2日じゃ戻りません。

部屋に来る看護師さん、お医者さん、家族(母親)しか外との接点がありません。

気晴らしや励みになっていた他の患者さんやその家族の方とも会う事はありません。

『いつまでここに閉じ込められていなきゃいけないんだ。』

と思いました。

 

口内炎

メソは口内炎になりやすい抗癌剤です。

抗癌剤治療の副作用で有名なのは吐き気ですが、口内炎も特に辛い副作用のひとつです。

僕も例外ではありませんでした。

 

口内炎になった事がない人は少ないと思います。

触れるだけで痛いものがありますよね?

あれが大量に出来ました。

何かが触れると激痛が走ります。

とても食事できる状態ではありません。

でもお腹は減るんですよね(^_^;)

 

食事と歯ブラシ

その日の食事は鯖の味噌煮でした。

美味しくない病院食の中でも好きなメニューでした。

試しに食べてみたんですが痛くて痛くてどうにもなりませんでした。

そこで僕はどうしたか。

 

鯖をほぐしてご飯にかけて一気に無理矢理かっこんだんですw

めちゃめちゃ痛いですが早く終わらせたい一心で頑張りました。

ただただ痛い。

痛いしか言うことありません。

 

そんな状態なのでまともに歯も磨けないんです。

でも免疫が低い時に口内を汚れたままにするのは非常に良くないです。

そんな時お医者さんが口内をケア出来る粘性の高いうがい薬を出してくれたので試してみたんです。

その粘性が気持ち悪くて頑張って食べたものを吐いてしまいました。

 

白血球が高くなり、免疫が良くならないと口内炎も良くなりません。

この地獄はしばらく続きました。

 

看護学生さん・恩師について

看護学生さん

 

何度か看護学生さんが研修の為に小児科に来ることがありました。

実際に入院している患者の担当となり、数日間血圧を測ったり身体を拭いてくれたりします。

あとは何気ない会話をしたりしていました。

 

僕にも退院するまでの間、4人の学生さんが担当になりました。

小さい子よりも中学生の僕の方がやりやすいようで、毎回担当を付けられてましたねw

嫌なわけではありませんよ?

 

  • 1人目

ハーフみたいな美人な学生さんでした!

1人目という事で一番よく覚えてます。

EXILE好きだと言っていましたね(^^)

経緯は忘れましたが学生さんがオセロを持ってきて対戦してましたw

子供相手だから手加減する…なんていうことはなく、普通に負かされましたね(^^;

 

  • 2人目

申し訳ないんですが顔しか覚えていません^^;

笑顔で明るい人だった気がします。

 

  • 3人目

独特のキャラでした。

少林寺拳法部を作ったと言っていましたね。

 

  • 4人目

眼鏡をかけた優しい人でした。

担当が終わった後一度外来で会ったんですが、脳外科だかの看護師さんが怖くて泣かされたって言ってましたね。

 

あまり変化のない入院生活で看護学生さんの存在は、僕にとってはとても良い気分転換になっていたと思います(*^ω^*)

 

 

 

 

学校

 

中学3年生になっていた僕は高校受験を控えていたため、勉強する必要がありました。

 

 

 

ですが当然学校には通えない為、僕のような入院患者に授業をしてくれる先生に来てもらうことになりました。

 

担当になった先生は若くて目元が化粧でキラキラしていた女の先生でした。

自分の事を美しいと言っているとても面白い先生でしたw

後から知りましたが僕が初めて教える生徒だったそうです。

 

週に2回ほど病院に来てくれていました。

授業時間は2時間くらいだったと記憶しています。

具合が悪い時は出来無かったので実際にはもっと授業時間は少なかったです。

 

授業

 

授業といっても2時間しかないのでやれる事は限られます。

苦手な教科はほとんどやらず、得意な教科ばかりをしていた気がします。

というより勉強自体ほとんどしていませんでした(^◇^;)

 

授業?

 

この時の僕は本当に勉強が嫌いだったんですw

経緯は忘れましたが実験をしようという事になりました。

実際にホッカイロを作ったり、牛乳パックを使って電気を使ってパンを作って食べたりしましたね。

ひたすらパソコンでマインスイーパしてる時もありました。

とても受験を控えた人間のすることじゃありませんね(^◇^;)

それでも楽しかったです。

 

受験

 

志望校がなく、興味もなかった僕は母親と先生が相談して決めた学校を言われるままに受ける事になりました。

評判の良い高校という事だけ聞いていました。

倍率がかなり高かったようです。

全然勉強していない僕には厳しいかと思われました。

 

受験当日

 

免疫の弱まっている僕は別室で一人での受験と面接でした。

テストはほとんどさっぱり分かりませんでしたね。

国語はほとんど勉強していない。

理科は勉強したところがほとんど出ず。

社会もサッパリ。

数学も英語も思わしくなかったです。

テストは絶望的でしたw

面接は特に問題なく終えることが出来ました。

 

結果

 

倍率が高く、ほとんど勉強もせず、絶望的なテスト結果だったにも関わらず、僕は志望校に合格することが出来ました!

自分でびっくりでした(^◇^;)

 

先生が高校に受かったお祝いにご飯ご馳走してくれたのを覚えています。

わざわざ遠くから実家まで迎えに来てくれて食べたかった店でご馳走してくれました♫

遠慮せずに高いの頼んでしまったので高くなってしまったのが申し訳ないです(^_^;)

 

先生には沢山お世話になりました。

間違いなく僕の人生での恩師です(*^ω^*)