白血病になった時の話

人生で二度白血病にかかりました(現在は寛解しています)。その時の記憶を遡りここに記していきます。

激痩せ

痛みの症状はなくなっても、飲み食いするとまた症状がぶり返す危険性があった為、血液検査の結果が良くなるまで絶飲食は続きました。

体重は7キロも落ちていました。

48キロくらいだったと記憶しています。

足もびっくりするくらい細くなりました。

ふくらはぎはなくなりましたね^^;

ずっと個室の中で食べることも飲むことも出来ず、動くこともほとんどなかったので当然ですが、自分の身体ではないみたいでした。



症状から2週間以上それが続き、やっと医者が食事を再開してみようと言ってくれました。

めちゃめちゃ嬉しかった(T . T)

久しぶりの食事は全て重湯と形のない汁でしたが、信じられないくらい美味しかったです。

その後、症状がぶり返すこともなく膵炎は治りました。

だんだん食事も元の形あるものに戻り、体重も少しずつ戻っていきました。

絶飲食

急性膵炎の治療法は点滴と膵臓が休まるまでひたすら絶飲食です。

腸などの検査で1日くらいの絶食は経験したことがありましたが、水すら飲んではいけないのは初めてでした。

それがいつまで続くのかもわかりません。

先生によると、この病気は死の危険性もあるそうです。

部屋は大部屋から個室に急遽移動になりました。


初めのうちは麻薬でふわふわしていたので問題は無かったのですが、麻薬が減量されて意識がはっきりしてくると空腹も感じてきます。

病院の唯一の楽しみと言っていいほど食事は重要です。

白血病はただでさえまともに食べれない事が多くなる病気です。

しかしそれには吐き気や口内炎などが伴う為に食欲はあまりないんですよね。

この時は吐き気もなく、口内炎も麻薬で痛みが抑えられていたので、食欲は普通にありました。

テレビとケータイを見るくらいしかする事がなく、ずっと空腹と喉の渇きと戦うのはとても辛かったです。


何でもいいから早く食べたい。

味を感じたい。

毎日そう感じていました。

そんな僕をみかねて看護師さんが『口内を保湿するジェル』のサンプルをくれました。

リンゴかなにかの味付きだったと思います。

久しぶりに感じた味は本当に美味しくて、そのまま飲んでしまいたいくらいでした。

麻薬

急性膵炎は膵臓の急性炎症らしく、とにかく痛みがすごかったです。

一般的にはアルコールの摂りすぎでなるイメージがありますね。

(チュートリアルの福田さんもそうだったはず)

その痛みを抑える為にかなりの量の医療用麻薬を使っていました


消えた痛み

医療麻薬の効果は絶大で、膵炎の激痛を抑えられるほどのもの。

その時僕は口内炎にも苦しんでいたのですが、その痛みはほぼなくなっていました。

口内炎は何もしなくても痛いので、痛みが無くなるってことはとても嬉しい事でした。


けど、いいことばかりではありませんでした。


副作用

何日も服用を続けていくと段々眠気が強くなり、いつでも眠いという状態になっていきました。

ふわふわベッドに浮いているような感じでとても常に心地良かったです。

全てを忘れて気持ちよくなれるようなこの感じ、麻薬をやめられない人の気持ちが分かった気がしました^^;


麻薬を続けていくに連れ、症状はふわふわ以外にも出始めました。

どこからか知り合いの声が聞こえてきたり、枕元にお医者さんが立って僕に話しかけてきたり。

嫌な感じはしません。

むしろ心地良かったです。

そのうちに女の子がやってきて、ベッドに腰掛けました。


幻聴、幻覚です。


看護師さんに

「ここに女の子が座ってるー」

と伝えると、看護師さんは

「ちょっと待ってて」

と部屋を出ました。


すぐにお医者さんがやってきて、麻薬を減量しました。

結構まずい状態だったらしいです(⌒-⌒; )

今はかなり薄れましたが、暫くはその気持ち良さを忘れられずにいましたねw

麻薬は一回やってしまったらもうダメってのはよくわかります。



激痛

最初の抗ガン剤が終わりました。

白血球が下がるのも早く、すぐに病棟から出る事を禁じられました。

それでも、個室から出られず、看護師か見舞いに来る母親にしか会えなかった昔の入院生活よりかはかなりマシに思えました。

 

 

第2の治療

次に使う抗ガン剤はロイナーゼ。

子供の時の治療にも使ったものです。

基本的に子供に使う薬らしいですが、僕はギリギリ使えるとのこと。詳しくはよく分かりません。

8日間くらい毎日数時間連続で流す薬です。

アレルギー反応が出やすい為、心電図を付けながらの投与でした。

 

異常 ?

初日の投与時に異変は起きました。

何か喉が狭くなるような感じがして息苦しさを感じたのです。

そのことを医者に伝えると、抗癌剤は一時中止になりました。

アレルギーを抑える薬を投与すると症状は改善しました。

医師の判断で抗癌剤を再開。

今度は問題も起こらず、無事に治療を終えることが出来ました。


痛み

ロイナーゼ投与4日目の夜。

この時の僕は、副作用で口内炎に悩まされていました。

喋れはするものの、飲みづらい薬は一旦飲むのをやめていました。

その中には胃薬も入っていました。


消灯前、僕はお腹に違和感を覚えました。

なんだかお腹が痛い気がする。

それを看護師さんに伝えると、胃薬を飲まなくなったせいかな?ということになり、カテーテルから流し込むタイプの胃薬を投与してその日は休みました。


激痛

突然の痛みに僕は目を覚ましました。

お腹をガンガン殴られてるような訳の分からない痛みに僕はもがきました。

痛み止めの飲み薬も点滴も試してみましたが、全く効きません。

医療用の麻薬を大量に投与し、やっと痛みを抑えることができました。


血液検査の結果、急性膵炎だということが分かりました。

これらロイナーゼが起こす可能性のある副作用の一つでした。


カテーテル

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ここでいうカテーテルとは、中心静脈という太い血管に入れる点滴の管のことです。抗ガン剤や腎臓を守る為の点滴、高カロリーの栄養の点滴などを流す為に使用します。

 

中学生の入院時と社会人での入院時では違いがありました。

 

 

昔のカテーテル

僕の場合は右側の鎖骨の下からカテーテルを挿入しました。

刺す時は変に動かないようにとの理由で、眠くなる薬を投与してから処置しました。

カテーテルは抜けないよう皮膚に縫い付け固定します。

今でもその跡が若干残っています。

 

採血はこのカテーテルから血を引く事ができ、いちいち皮膚から刺される事がないので楽ではありました。

 

風呂に入る時は水が入らないように、回りに防水テープをペタペタ貼っていました。

風呂上がりにはそこを消毒します。

 

カテーテルはトラブルがない限り、退院するまで刺しっぱなしです。

 

 

新しいカテーテル

骨髄移植を行う時は、昔と同様に鎖骨の下あたりからカテーテルを挿入します。

しかし、抗がん剤による寛解導入療法、地固め療法を行う時は、PICCカテーテルという管を入れて治療しました。

PICCカテーテルも太い血管に入れることには変わりないのですが、二の腕から挿入すること、特に縫い付けたりはしないことに違いがあります。

成人になったこともあり、局部麻酔のみで眠くなる点滴は使用しませんでした。

血管を探られるような感じに違和感がありましたが、特に問題なく終えられました。

はじめのうちは管が寝てる間とかに抜けちゃわないか心配でした(⌒-⌒; )

(抜けることはなかったです。)

 

昔はカテーテルから採血出来ていましたが、それは無くなって普通に皮膚からの採血になりました。

これは少し不便になりました。

採血苦手な人は毎週3回以上あるので地獄です(⌒-⌒; )

 

シャワーに入る時も刺し口を防水テープで貼ることはしません。

逆に綺麗に洗った方が清潔とのこと。

勿論終わった後の消毒はします。

(湯船に入るのは不衛生とのことでなくなりました。)

 

昔は退院までずっと刺しっぱなしのカテーテルでしたが、今は熱が出るとすぐ抜くように変わっていました。

管に菌が付着している可能性があるかららしいです。

カテーテルを刺すのも処置する場所に行って局部麻酔して変なところに管を通さぬようにやるので楽じゃありません。

僕は2、3回刺し直しました。

 

因みに熱が出たら両腕から採血をします。

より正確に検査結果を出す為です。

 

 

最後に

昔と今でかなり色々と変わっていました。

楽になった事もあれば大変になった事もあります。

でも全ては医学的な面から見れば良くなっているのでしょう。

 

ざっくり考えても僕は人生で100回以上は採血の針を刺されてるでしょうね( ̄◇ ̄;)

車の話

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話は少し前に戻ります。

病名が分かり、北海道に帰って治療することを決めました。

しかし僕には一つ考えないといけないことがありました。

車のことです。

 

 

車のこと

僕はもともと中古の軽自動車に乗っていて、就職してからもそちらに運んで使っていました。

中々気に入ってたんですが突然の不良でエンジンがダメになり、廃車になってしまったんです。

ショックでしたし、通勤にも使っていたので早急にどうにかしなければならなかったんですが、ひょんなことから数日後には新車ですぐに新たに軽自動車を購入したんです。

 

130万くらいだったと思います。

新車の匂いとか好きでしたねw

 

 

病気になって

車は北海道に持っていくことも可能でしたが、支払いがあります。

月に3〜4万払っていたのですが、働けなくなった今その金額はとても厳しいものでした。

実家も家計が厳しくて肩代わりもできないですし、職場復帰がかなり先の話になることは前の闘病生活から分かっていたことでした。

手放すという選択が妥当に思えました。

そうするしかなかったです。

 

 

車を渡す日

買ったばかりという事で車は80万程で引き取ってもらえました。

しかしそれでも残り50万の支払いが残ります。

一度に払える財力もなく、ローンを組む必要があったので金利も加わり60万を超えました。

ない車のローンを払い続けなければならない。

こんな虚しいことありますかね。

最悪でした。

でも仕方ない。

 

店の人が車を取りに来て、自分のものだったはずの車が去って行った時急に涙がこみ上げてきて訳も分からず号泣しました。

自分でも気付かなかったんですが初めての大きな買い物でしたし、車への思いみたいなのがとても強かったみたいです。

とても苦しかった。

 

 

最後に

今は車のローンは払い終えられましたが、その分払うことが遅れた奨学金の返済がまだ70万近く残っています。

このままじゃ払いきれません。

でも健康であればどうにかできます。

 

病気が奪うものは健康だけじゃないんです。

時間もお金も自由も他にも色々奪われます。

今また健康に生きられていることをとてもありがたく思います。

 

読んで下さりありがとうございました。

昔と今

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医者との再開

僕が入院した病院は、子供の頃の治療で入院した病院とは別です。

そして昔は小児科でしたが今は血液内科という聞き慣れないところになりました。

 

僕は小児科の頃お世話になったお医者さんがこの病院に異動したという話を思い出し、小児科へ会いに行きました。

先生はまだこの病棟にいるとのことでしたが、たまたまこの時は席を外していました。

 

病室に帰り暫くするとその先生はわざわざ僕に会いに来てくれました。

何を話したかよく覚えてないんですが、

『今は小児科ではないから私は治せないけど、しっかりこの血液内科で治してもらって』

っていう事を言ってもらいました。

 

こんな形で再開はしたくありませんでしたが、元気をもらえました。

 

 

脱毛

昔の抗ガン剤治療では、髪は抜けはするものの急激に抜けることはありませんでした。

しかし大人の治療は別でした。

 

1月くらいで髪は抜け始め、その量もかなり多かったです。

髪が薄くなるとドライヤーの熱を直に感じて、乾かすのが大変でした。

タオルで拭いたり、手櫛をしたりしても髪はごっそり抜けます。

数日であっという間に髪は無くなりました。

 

昔に経験していた僕は抜けることは分かっていたのであまりショックではなかったです。

ただそのスピードにびっくりしました。

 

病院食

昔の病院食はとても食べられたものじゃなかったんですが、ここは割と食べられました。

大人になったから文句を言わなくなったというのもあります。

美味しいと思えるメニューも僅かですがありました。

凍ったマンゴーが好きでしたねw

ラーメンだけはまずくて大嫌いでした(⌒-⌒; )

 

 

病棟

昔は免疫が下がると隔離され、部屋から出ることはできませんでしたが、ここは病棟自体が特殊な作りになっており、空気が綺麗に保たれている為病棟内は自由に歩き回れました。

なのでシャワーも入れました。

これがすごく大きい!

 

因みに昔は湯船に入ることが許されていましたが、今は不衛生ということで無くなってましたね。

 

 

面会

基本的には家族しか許されなかったです。

そして子供は面会できません。

子供は菌を持っている可能性が高いからという理由だそうです。

幼稚園や小学校で菌をもらってる可能性があるからみたいです。

 

昔と比べると色んなルールが厳しくなっています。

命を守る為には当然ですが、改めて大変な病気だというのを実感しますね。