白血病になった時の話

人生で二度白血病にかかりました(現在は寛解しています)。その時の記憶を遡りここに記していきます。

北海道へ

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こちらの病院で治療するのか、それとも北海道へ戻って治療するのかと医者に言われた僕です。

まず僕は親にまた病気になってしまったことを伝えました。

そして、この地で治療する事を伝えてその日は電話を終えました。

 

ですが次の日親側から電話があり、

『サポートも出来るしそっちで1人じゃ大変だろうから北海道で治そう』

と告げられ、やはり北海道に帰って治療しようと考え直しました。

 

思いかえせば…

今回健康診断での採血結果がおかしい事から病気の発見へとつなげることが出来ましたが、思い返してみると前兆がありました。

 

病気がわかったのが9月だったので、その4ヶ月前のことです。

丁度ゴールデンウィークが始まる日です。

僕は激しい頭痛と高熱で苦しんでいました。

前の日は何ともなかったのにその日から突然です。

熱は39度を超え、このままでは良くないとフラフラながらも車を運転しクリニックへ行きました。

どうやらウイルス風邪のようでした。

ウイルスは抗生剤が効かないので、解熱剤と鎮痛剤のみが処方されました。

熱が出たり痛みが強いとその薬を飲みました。

自然に治るのを待つしかないのでとても辛いです。

しかし僕の白血病はウイルスをやっつけるはずのリンパ球がおかしくなる白血病です。

リンパ球がまともに働いていなかったのかウイルスは中々治らず、結局ゴールデンウィークは全てウイルス風邪との戦いで潰れました。

 

北海道へ

再発と診断されてから1週間も経たないうちに僕は北海道へ帰ってきました。

そして次の日には病院に入院しました。

 

一通り色々な検査をしてからまた抗癌剤との日々が始まるのです。

『またか…やだなぁ』

そればっかり思っていました。

 

 

再発

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健康診断での採血結果で白血球の値が平均を下回りました。

再検査の為に僕は別の持病で通っていたクリニックに向かいました。

とても信頼できる先生です。

事情を話し、採血を終えてその日は帰宅しました。

 

採血結果

結果は変わりませんでした。

白血球数の平均を前回と同じくらい下回る結果でした。

どうしてだろうか。

大丈夫だよな…?

不安がよぎりました。

平均を下回ると言っても大幅では無かった為、先生と相談しもう一度検査する事になりました。

 

再々検査

またも検査結果は変わらず。

寧ろ前回より少し値は下がっていました。

これは一度骨髄を調べた方がいいのではという事になりました。

このクリニックでは検査することが出来ない為、大きな病院で検査をする事になりました。

数年ぶりにマルクをする事になったんです。

先生に紹介状を書いてもらい、そのクリニックを後にしました。

 

大学病院へ

血液内科を受診しました。

僕を担当してくれた医者はその病院の血液内科の教授だったかと思います。

診察は淡々としていました。

必要な事だけをするような、決まった作業をこなすような冷たさを感じました。

 

久しぶりのマルク

以前は腸骨の側面から採っていた骨髄ですが、うつ伏せになって腰のあたりから採るように変わっていました。

完全に検査器具やその様子が見えないので良いかもしれません。

体勢的にも楽でした。

久しぶりで緊張しましたが、検査も淡々と進みました。

久しぶりに感じた痛み。

もう二度と感じるはずではなかった痛みです。

 

検査結果

後日検査の結果を聞きに再度病院へ行きました。

『大丈夫だろう。大丈夫なはずだ。』

そう言い聞かせていました。

 

呼ばれて診察室へ入ると教授はすぐに僕に言いました。

 

『再発ですね。うちの病院で治すか北海道で治すか選んでください。』

 

サラッと言いました。

まるで『風邪ですね』と診断するくらいのテンションで。

 

今思えば酷い医者ですよねぇ。

貴方にとっては沢山いる患者の1人かもしれないですが、僕にとっては本当に辛いことなのに。

 

気持ち

再発と告げられた時の僕は割と冷静でした。

ぼんやりと

『あー、再発したのかー』と。

一度目の闘病から、

『もう白血病の治療は耐えられないから再発しても治療しない!』

と思ってたんですが、不思議と諦めてはいませんでしたね。

 

 

社会人 二度目の予兆

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社会人2年目。

僕は大学を卒業した後、北海道を出てとある派遣会社に入社しました。

そしてその後ある会社に派遣され、1年を過ぎたころでした。

 

就職してから

今まで実家暮らしだった僕は家事という家事をほとんどした事がなく、洗濯すらまともに出来ない状態でした。

就職が決まりこれでは生活できない!と母に色々教えてもらい、最低限の事は出来るようになりました。

 

就職してからは学生と社会人の違いが最初こそ辛く感じましたが、沢山いた同期の繋がりもあり乗り越えられました。

しかし派遣されてからはそういう息抜き的なのもなく、仕事について行くのでいっぱいいっぱいな日々でした。

与えられた仕事をこなさなければ!という思いから仕事中心の生活になってしまい、仕事が進まないと落ち着きませんでした。

一つこなしてもまた新たな仕事がくる。

それどころか仕事はどんどん溜まって行く一方です。

 

やがて僕は朝ご飯も食べずに会社に行き、昼休みご飯も食べず仕事をし、夜になってやっと食事を摂るという生活をするようになりました。

勿論疲れ果てて帰ってきて自炊なんかしたくありません。

必然的に晩御飯は家の近くにあったマクドナルドとすき家の繰り返しになりました。

最悪な生活です(⌒-⌒; )

 

精神状態

そんな生活をしてるものですから僕はどんどん弱っていきました。

体重は5キロ痩せました。(50キロくらい)

目が死んでいると言われました。

座り仕事だったので背中が痛いです。

仕事でミスを発見する夢を見て目が覚めます。

そして実際そのミスが起きていますw

仕事していない時は頭痛がします。

仕事の事しか考えられません。

休みの日は何をしていいのか分かりません。

 

仕事する為に生まれてきたみたいだ。

ずっとそう感じていました。

 

予兆

そんないっぱいいっぱいの生活でも続けていれば慣れていくもんなんですね。

段々とメンタル面も強くなっていき、やがて朝食と昼食も食べる余裕が出てきました。

死んだ目も体重も少し良くなりましたw

仕事の為に生きてる感はまだありましたが(⌒-⌒; )

 

そんなある日会社の健康診断があったんです。

よく覚えてないのですが、採血もあったんですよね。

その採血の結果で白血球が基準値を下回ってたんです。

といっても平均が3000〜9000くらいで僕の値は少し下回るくらいだったと記憶しています。

再検査との診断でした。

 

再検査といってもきっと大丈夫だろう。

気楽に考えていました。

でも今思えば心の底で嫌な予感がしていました。

大丈夫なはずだ!

また病気になるはずがない!

と自分に言い聞かせていたんです。

治療の終わり・仲間の通夜

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維持療法も段々頻度が減っていき、短期の入院治療がなくなり、やがて

外来治療も終わりを迎えました。

やっと抗癌剤から解放されたんです。

これほど嬉しいことはありません。

抗癌剤が終わったということは全ての治療プランが終わったということです。

治療が始まってから大体3年くらいでしょうか。

長い長い闘病生活が終わりを告げました。

 

通院

治療が終わっても定期的に通院を続けます。

血液にまた異常が出てきていないかを調べる為です。

採血は毎回して、たまにマルクで骨髄を調べます。

5年は続いたかと思います。

5年生存率というやつですね。

 

白血病は治療プランが終わったからもう大丈夫!なんて簡単な病気ではありません。

再発の可能性があるからです。

実際、闘病仲間が再発して亡くなりました。

 

闘病仲間

彼は5つ年下の男の子でした。

亡くなった親友と同様に地元が一緒だったんです。

(病気は地元に原因があるのでは?なんて思いましたね^^;)

大人しくて勉強も遊びも一生懸命なとても良い子でした。

 

僕が退院してから暫くして彼も退院したという事を聞きました。

無事に退院出来て良かった。

と思っていたのですが、現実はとても残酷でした。

 

再発

退院してから半年もせずに彼の病気は再発しました。

その話を聞かされた僕はとても複雑な心境でした。

地獄の入院生活をまた繰り返さなければいけない彼が本当に可哀想で辛くて言葉になりませんでした。

 

そして数ヶ月後に彼は亡くなりました。

 

通夜

亡くなった闘病仲間は数人いましたが、葬式に出たのはこれが初めてでした。

『来てくれてありがとう』と彼のお母さん。

通夜が始まりお坊さんのお経が始まり、一連の流れが終わった後、僕と彼との最後の対面がありました。

とても優しい表情の彼。

当たり前ですがお母さんは泣き噦っていました。

僕は言葉もなく抱きしめてあげることしか出来ませんでした。

 

なぜ

あんなにいい子で一生懸命で頑張ってた子が、どうしてこんな辛い病気で、こんな若さで亡くならなければならなかったのでしょうか。

帰りの車中僕はずっと泣いていました。

 

さいごに

僕が寛解して5年生存率を超えられた一方で治療の甲斐も虚しく亡くなった仲間、再発して亡くなった仲間がいました。

その事を忘れてはいけません。

 

この記事にて一度目の白血病になった時の話を一旦終わりとします。

(また書き忘れた伝えたい事があれば記事を追加するかもしれません。)

 

読んでくださりありがとうございます。

髪質の変化

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退院後も抗癌剤治療は外来と短期入院で続いていました。

ですがその頻度は入院時に比べると大分落ち着いていた為、日に日に髪の毛の量も元に戻っていきました。

今回は白血病になり、抗癌剤治療する前と後で髪質がどう変わったのかについて話します。

 

病気になる前の髪質

病気になる前の僕の髪質は固くて太く、ヘアワックスなど付けなくても立つほどでした。

幼い頃は髪が伸びてくると『五右衛門みたいだ』とよく親に言われましたねw

 

病気になった後の髪質

放射線をして全て髪が抜けました。

その後生えてきた髪の毛は以前とは対照的で、細くて柔らかくなりました。

髪も立たずに流れるような感じに生えるように変わりました。

でもそれだけじゃありません。

 

癖毛になりました(⌒-⌒; )

うねうねした軽いパーマをかけたような感じに変わってしまったんです。

でもそれが結構いい感じで気に入ったんですけどねw

 

看護師さんによると、抗癌剤治療後にクセ毛になるのは、頭皮が抗癌剤でダメージを受けて毛穴がゆがむからだそうです。

 

二度目の髪質の変化

放射線治療後、細く柔らかく軽いパーマのかかったような髪に変わったわけですが、暫く経つとまた髪質の変化が見られました。

 

軽いパーマ感がなくなり直毛になったんです。

ストパーかけたみたいでした。

パーマが気に入ってたので少し残念ではありましたが、直毛は羨ましがられましたね。

 

頭皮はシャンプー

髪質が元に戻ってきたのはちゃんとシャンプーをしてたからじゃないか?と看護師さんに言われました。

髪が無くなりツルツルになると身体を洗うついでに頭も洗っちゃう人がいるんですが、頭皮は弱いので良くないみたいなんです。

一瞬で洗い終わるので楽ではありますが、やらなくて良かったです(⌒-⌒; )

 

まとめ

固く太い、ヘアワックス付けなくても立つほどの髪

 

柔らかく細い、軽いパーマをかけたような髪

 

  • 暫くして変化してきた髪質

柔らかく細いのは変わらず、ストパーをかけたような髪質

 

髪質が良くなったのは、髪がない時でもしっかりシャンプーをしていたからなのでは無いか?

 

経験談なだけで皆さんがこうなるとは言えません。

一つの経験談として知ってもらえると嬉しいです。

読んでくださりありがとうございます。

維持療法と高校生活

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僕は高校に進学しました。

退院はしましたがまだ白血病の治療は終わっていません。

 

維持療法

今後は外来での治療と、短期入院での治療があります。

この最後の段階の治療を維持療法と言うそうです。

 

  • 外来治療

外来治療では、1時間程抗癌剤を入れていました。

見ただけで吐き気を起こす、僕のトラウマなオレンジ色の抗癌剤です。

吐き気は起こすものの、少量だからか吐く事はあまり無かったと記憶しています。

 

飲み薬でプレドニン(ステロイド薬)も飲んでいました。

副作用で顔が丸くなったり、食欲が増えます。

薬を飲んでる期間は、吐き気があるからというのもありますが、太るのが嫌で一切食事を摂っていませんでした。

例え薬の副作用が原因であったとしても、太った自分がコンプレックスだったんです。

 

  • 入院治療

入院治療は4、5日間でした。

毎日抗癌剤を入れます。

2、3ヶ月に1回くらいのスパンで入院治療していたと思います。

 

通院

病院は基本的に平日しかやっていません。

なので必然的に学校を休んで通うことになります。

なので僕はよく早退して病院に向かっていました。

よく早退する僕が周りにはどう映っていたのでしょうか。

 

高校での自分

入学してから、僕は自分が白血病で入院していたという事を誰にも伝えていませんでした。

それは例え病気が原因であろうと、髪が抜けて太った自分を知られたくないという思いがあったのだろうと思います。

病気の事を聞かれると当時を思い出し、吐き気が呼び起こされるのもあったと思います。

 

よく早退する僕に『なんで帰るの?』と問い詰められても。

中学の卒業アルバム見せてと言われても。

僕は全て誤魔化し続けました。

 

担任の先生だけが僕の病気を知っていました。

 

体育の授業

僕の高校の行事にマラソン大会がありました。

全員参加で男子は10kmくらい走らなければならないハードな行事です。

初めての体育の授業はとても厳しいもので、授業開始から終わりまで只管一定ペースで走り続けるというものでした。

元々体力がない上に最近まで入院していた僕には当然無理です。

1人だけ付いて行けませんでした。

死にかけでしたね(⌒-⌒; )

 

体育教師はとても厳しい人で、全然付いていけない僕に

『お前なんで付いて来ないのよ』と

キレました。

僕は息絶え絶えに病気で最近まで入院していた事を説明しました。

 

次回から僕は歩くだけで良くなり、マラソンにも参加しなくていい事になりました。

厳しかった教師は僕にだけ優しくなりましたね。笑

ですが、皆んなが出来る事が自分には出来ないという事が悔しかったことも覚えています。

 

 

退院・卒業

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退院

ついに長い長い入院治療を終え、退院する事が出来る事になりました。

気になっていた頭にも少しだけですが毛が生えてきました。

胸の中にずっと繋がっていたカテーテルもやっと抜くことが出来ます。

(抜くときは意外とあっさりでした)

長く刺さっていたので傷跡は今でも残っています。

 

退院時の事は正直あまり覚えていません(^_^;)

退院しても暫くは病院に通っていたせいかもしれません。

 

今後の治療

退院は決まりましたが、白血病の治療が終わったわけではありません。

今後は外来にての治療、もしくは短期の入院にて治療を行っていきます。

この治療も長く、最後の治療が終わるまでには1年以上もあります。

その間に再発してないかの検査も定期的にあります。

マルク(骨髄穿刺)のことです。

そしてこれは治療が終わっても暫く続きます。

 

不安

無事に退院でき、卒業式にだけは出られる事になった僕でしたが、学校に行く事はすごく不安でした。

入院前よりかなり太りましたし、入院前は長かった髪も今はほぼありません。

そんな自分を見られるのも嫌でしたし、久しぶりに会う同級生にどう接したらいいのかも分かりませんでした。

入院中はお医者さん、看護師さん、学校の先生、患者のお母さん方などの年上の方か、年下の小さい子とばかり話していましたから(⌒-⌒; )

 

いざ学校へ

不安ながらも約1年ぶりの学校へ車で向かいました。

制服を着るのも久しぶりです。

学校に着き、自分の教室に恐る恐る入りました。

 

同級生は心配してくれたり、明るく接してくれました。

僕の不安だった見た目の事には触れず、普通に接してくれたんです。

気が楽になりました(⌒-⌒; )

先生も僕の退院を喜んでくれました。

アイスかジュースか忘れましたがなんか買ってくれました♫

 

後悔してる事

僕の病気が分かって暫く入院する事が決まった時、心配してくれてわざわざ電話をくれた女子がいたんです。

全然話した事は無いんですが、可愛い子で当時僕は彼女の事が好きだったんです。

そんな子が電話をくれて戸惑いました。まともに喋れてなかったと思いますw

手紙もかなり長く書いてくれましたし、それを僕もすごい喜んでました。

 

久しぶりに学校に帰った来た僕に彼女も嬉しそうに話しかけてくれたんですが。

 

僕、同年代の女子への耐性が無くなってまして。。。

いや、元からないようなものだったんですが(⌒-⌒; )

(ごめんなさい強がりました)

 

どう喋ったら良いか分からず、とても素っ気なくしちゃったんです……。

 

心配してくれた彼女にとても申し訳なくて、当時の自分をぶっ飛ばしたいです(´・ω・`)

本当にごめんなさい(>_<)

 

卒業

ともあれ卒業式を無事終えることができました。

3年生で学校に通えたのはこの1日だけでしたが、病気を乗り越え無事に中学を卒業出来て本当に良かったです。

助けてくれた全ての人に感謝です。